【四街道】
【四街道市】は、千葉県北部の印旛地域に位置する市。 古くからの交通の要衝で、東西南北4方向のへ街道が交わることから「四ツ街道」という名が付きました。
古くは「物部氏」に関係した地で、「下総国千葉郡物部(物井地区周辺)」という地名でした。
中世に「下総国臼井荘」となり、約600年の間、千葉一族の所領でした。徳川家康が関東を平定すると、佐倉藩の藩領又は天領となります。幕末には下志津原に佐倉藩の砲術練習所が置かれました。
1889年の町村制の施行に伴い、印旛郡千代田村(畔田・亀崎村役場)・旭村(鹿渡本村役場)が成立し、1894年に「総武鉄道」が開通し、この地に【四ツ街道駅】が設置されるのです。
日清戦争後の1897年、「陸軍野戦砲兵射撃学校」が「四ツ街道駅北側(鹿渡無番地)」に移転してきます。周辺に軍需門前町が形成され、現在の【四街道地区】が形成されます。
戦後、千葉空襲で校舎の壊滅した「千葉師範学校女子部」が「野戦砲兵学校」の跡地に移転します。1955年に「四街道町」が発足し、「千代田町」と「旭村」が合併し【印旛郡四街道町】が誕生するのです。
1957年に北部5集落(羽鳥・飯重・吉見・生ヶ谷・畔田)を佐倉市に移し、1959年 大日の飛地を千葉市に移し現在の市域となります。1960年代以降、団地が次々に造成され、首都圏のベッドタウンとなります。
管理人のコメント
「四街道十字路」には、「北 成田山道」「南 千葉町道」「東 東宇がね(東金)道、馬渡道」「西 東京、船橋道」と記す道標石塔が建っています。近くには御成街道・千葉街道・成田街道・佐倉街道があります。
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投稿日 2018/〇/〇
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