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【谷津干潟】【谷津遊園】

【谷津干潟】は、千葉県北西部(習志野市北西部)の東京湾岸にある面積約 0.4k㎡の干潟です。
長さ約 1kmの 2本の水路で東京湾とつながっており、かつてはノリや貝類採取の漁業が行なわれれておりました。しかし、京成電鉄の開通や京葉港建設に伴う埋め立てにより干潟の面積は激減し、湾の最奥部にわずかに残るのみです。
この「谷津干潟」はシギ・チドリ類の渡来地として知られ,1988年に「国設鳥獣保護区」に指定され、1993年にラムサール条約に登録されました。

【谷津遊園】は、京成電鉄が千葉県習志野市谷津で直営運営を行っていた遊園地です。
大正時代に塩田地として使われていた海岸地帯が、国の塩業試験場などに転用された後、娯楽施設に転用され、1925年に【京成遊園地】として開園したのです。その後、【谷津遊園】と改称されます(戦時中「遊」の字を取って「谷津園」と改称された時期もありました)。
昭和40年代に南側前面の東京湾が埋め立てられる前までは、近隣の【船橋ヘルスセンター】とともに潮干狩り・海水浴のできる人気の遊園地だったのですが、経営母体(京成電鉄)の経営悪化と、東京ディズニーランドへの経営参画により、1982年をもって閉園。
閉園時の従業員の多くは東京ディズニーランドに移籍し、ローラーコースターは北海道のルスツリゾートに売却され、シンボル的存在であった観覧車は数年間放置された後、解体されました。バラ園は習志野市が買収し「谷津バラ園」として運営されています。
谷津遊園は、1934年に来日したアメリカ選抜チームと対抗するために、東京六大学出身者を中心とした全日本チームが練習をした地でもあります。そのチームがのちの東京巨人軍(読売ジャイアンツ)になった経緯から、谷津バラ園入口の脇には、「読売巨人軍発祥の地」の碑が残っています。

【京成谷津駅】は1921年に【谷津海岸駅】として開業した駅です。
1927年から1934年の間は「京成遊園地(谷津遊園)」のための支線があり、その支線上に【谷津遊園地駅】があったのですが、1936年の支線廃線に伴い「谷津海岸駅」から「谷津遊園駅」と変更されます。戦時下【谷津海岸駅】となり、1948年に再び【谷津遊園駅】となったのですが、1984年、谷津遊園の閉園(1982年)に伴い、現在の【谷津駅】となったのです。1985年には特急の停車駅から外れ、2002年には快速停車駅からも外れてしまいました。

管理人のコメント

かつて谷津遊園にあった「楽天府」は、第一勧銀の初代の本店でした。1926年に京成電気軌道(京成電鉄)が購入し、「谷津遊園楽天府」として阪東妻三郎プロダクションが使用したのです。その後千葉市に移管され、千葉市役所庁舎を経て、現在は千葉トヨペット本社となっています(登録有形文化財)。谷津遊園の跡地は、公団住宅団地(谷津パークタウン)となっています。

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投稿日 2017/〇/〇

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