【千葉ニュータウン】【印西市】【白井市】
【千葉ニュータウン】とは、千葉県白井市・印西市・船橋市にまたがる住宅地で、首都圏では多摩ニュータウン、港北ニュータウンに次ぐ大規模な街です。
東西約18km・南北2~3kmに広がる広大な土地が造成されたのが1966年。千葉県が単独で事業を開始します。1978年に宅地開発公団(UR都市機構)が参画し、そして2014年3月31日をもって事業が完了します。
当初は2,912ヘクタール(人口34万人)を見込んで計画されたのですが、1970年代のオイルショックや1990年代のバブル崩壊などで事業は縮小され、2013年度決算では1150億円の赤字となりました。
丘陵を切り崩して開発された多摩ニュータウンに対し、平坦な北総台地に造られた千葉ニュータウンは、坂が少なく歩きやすい街です。
『週刊東洋経済』の「住みよさランキング2017」では、千葉ニュータウンの中核となる市域(印西市)が、6年連続(2012~2017年)、総合評価で全国1位となっています。
千葉ニュータウンの中核都市である【印西市】は、江戸時代は利根川水運で栄えた地です。
1878年に行政区画としての【千葉県印旛郡】が発足し、1954年に【印旛郡印西町】が誕生します。
1961年には【沼南町(柏市)】と【印西】を結ぶ「手賀沼架橋」ができ、1967年に「印西都市計画千葉北部地区新住宅市街地開発事業(千葉ニュータウン事業)」が決定するのです。
1984年に「千葉ニュータウン」の入居が開始され、北総鉄道北総線(千葉ニュータウン線)が開通するのです。
1991年には「北総開発鉄道」が乗り入れを開始し、1995年には「北総・公団線印西牧の原駅」が開業します。千葉ニュータウン西の原エリアへの入居が開始されました。2000年には「北総・公団線印旛日本医大駅」が開業し、2010年に印旛郡の【印旛村】と【本埜村】を編入して現在の市域となるのです。
【白井市】は千葉県北西部の印旛地域に位置する千葉ニュータウンの町。
縄文時代には海進により、下総台地に「古鬼怒湾」という内海にあったそうです。手賀沼や印旛沼はその入り江の一部で、豊かな水と肥沃な土地に恵まれていました。古くから人々の営みがあった地で、奈良・平安時代になると下総国の一部となります。鎌倉時代は千葉氏の支配下に置かれ、千葉氏の軍馬用の牧が白井を含む小金原周辺にあったと言われています。 江戸時代になり、利根川水運が栄えると、白井の地は海産物の交易の場となりました。木下河岸で陸揚げして白井経由で行徳に向かう【木下道(行徳道)】、手賀沼から平塚・富塚などを経て松戸へと向かう【松戸道】などは「鮮魚道」とも呼ばれ、多くの旅人が行き交う道でした。 白井一帯が江戸幕府直轄の天領や旗本の領地となり、野馬の放牧場として【小金牧】や【佐倉牧】が設けられました。
1889年の町村制施行に伴い、印旛郡白井村が発足し、1964年の町制施行により「白井町」となります。1965年から工業団地が造成され始め、1979年の北総開発鉄道の開通に伴い「千葉ニュータウン」の町となったのです。2001年の市制施行により「白井市」となりました。
明治時代以来、ナシの栽培が盛んであり、「しろいの梨」としてブランド化されています。 白井の十余一地区や冨士地区は、かつて小金牧の一部として牧士が管理していた地で、冨士地区には牧の境界や内部の仕切りを目的として築かれた野馬除土手が現存します。
管理人のコメント
自転車でどこまででも行けてしまう平坦な街って、いいですね~。
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投稿日 2017/〇/〇
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