千葉銀行
太平洋戦争下、政府によって銀行の合同が推進され、1943年、千葉県内の千葉合同銀行・小見川農商銀行・第九十八銀行が合併して設立されたのが「千葉銀行」です。翌年、千葉貯蓄銀行を吸収し、野田商誘銀行の営業権を得ることで一県一行主義が成立しました。
戦後の千葉銀行は、積極的な融資拡大策を執ります。当時、東京のどの銀行も貸さなかった日活への融資も行いました。
1952年策定の「千葉県産業経済振興計画」により、重化学工業を導入するために千葉市・船橋市・木更津市の臨海部が埋め立てられ、内陸部には工業団地が造成されます。そのため、臨海部埋め立てに伴う漁業補償金の授受、工業団地造成による土地代金の授受によって千葉銀行は成長し、さらに京葉工業地帯へ進出した企業や関係取引先への融資などによって、単独の地銀としては総資産第2位(第1位は横浜銀行)の銀行へと成長します。
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投稿日 2017/〇/〇
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