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【館山】

【館山(たてやま)】は南房総観光圏の観光都市。海岸部は南房総国定公園に指定されています。
718年に【上総国】から分かれて【安房国】となった地で、戦国時代に里見氏によって統一され「館山城」が築城されました。この館山城は、1580年、水軍の拠点であった館山湾を望む丘(「城山」と呼ばれています)に立てられた城ですが、里見氏による築城以前にも城館が構えられおり、当時から「館山」と称された地です。
1591年、里見義康が里見氏の本拠を館山城に移すと、周囲に家臣の居住地を造り、その北側に商人・職人を集めて城下町を形成します。
里見氏が江戸幕府によって改易され(1614年)、旗本領・天領・小大名の領地として細分化されました。 1781年に稲葉正明が大名となり、1万石の館山藩が立藩されたのです。2代藩主の稲葉正武は、城山のふもとに陣屋を構えました。
明治に入り、1878年の郡制施行により、安房郡・平郡・朝夷郡・長狭郡が合併され【安房郡】が形成されます。昭和時代に入ると、【館山】は、木更津と並ぶ軍都として発展します。
1930年に海軍の実践航空部隊(館山海軍航空隊)が設立されたことで、市内には航空機の工場や燃料の補給施設が集中しました。「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」もその1つ。1.6キロにも及ぶ地下壕は戦争中に密かに作られた迷宮です。
2006年、【千倉町】【丸山町】【富浦町】【富山町】【白浜町】【和田町】【三芳村】が合併し、【館山市】を取り囲ように、【南房総市】が新設されます。2000年に千葉県によって発表された「合併推進要綱」では館山市を含めた安房地域全域の合併案が示され、新市名として「館山市」が提案されたのですが、8町村が「南房総市」を主張して対立。破談となり、【館山市】を取り囲む形の【南房総市】が誕生したのです。

【館山湾】の別名は「鏡ヶ浦(かがみがうら)」。北・東・南を陸に囲まれており、春から秋にかけては波静かな湾です。南端の「沖の島」や「鷹の島」は、関東大震災による隆起で本土と砂州で陸繋がりになった地で、沿岸の港には館山港、船形漁港などがあります。高い海水温の影響で、沖の島付近には小規模ながら造礁サンゴが分布しています。ジンベイザメ・マンボウ・マンタ・ウミガメなどが確認される事もあり、かつてはセミクジラ・コククジラ・マッコウクジラ・ツチクジラなどが訪れました。

【館山ファミリーパーク】は、房総半島の南端(洲埼灯台と野島埼灯台の中間)に位置する花の楽園です。 春には7,500㎡の広大な敷地にポピーが咲き乱れ、季節の花摘みなどが楽しめます。

管理人のコメント

館山湾は日本百景・日本の夕陽百選・東京湾100選・房総の魅力500選・恋人の聖地に選定されています。
館山は、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』の舞台となった地です。

管理人の思い出

月の沙漠を駱駝に乗った王子様とお姫様が旅していくエキゾチックな情景は、幼い頃の思い出として、今も脳裏に焼き付いています。
この歌の舞台となったのが「御宿」だったとは…。

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投稿日 2017/〇/〇

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