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八幡製鐵

「八幡製鐵君津製鐵所」とは、千葉県君津市と東京都板橋区にある八幡製鐵(新日鐵、新日鐵住金、日本製鐵)の銑鋼一貫製鉄所です。
当初、八幡製鐵は、三重県四日市に製鉄所を建設する計画でしたが、①四日市で想定していた規模では、これからの鉄鋼需要を賄えない、②需要の大半が京浜工業地帯に集中している等の理由で、需要地の近隣に大規模製鉄所を設けることとなりました。
そして、候補地が検討され、君津沖が選ばれたのです。
正式発表が1960年。その翌年、君津漁協との間で補償協定が調印され、1962年から埋立工事が始りました。
そして1965年、八幡製鐵君津製鐵所が発足します。
当初は冷延工場のみでしたが、1968年11月に第1高炉に火入れされ、銑鋼一貫体制が確立します。
1969年10月には第2高炉にも火入れされます。
1970年の新日本製鐵発足に伴い、「新日本製鐵君津製鐵所」の名称となり、第3高炉、第4高炉と操業が開始します。
2007年には新日鐵化学君津製造所を統合し、コークスの製造を開始します。
2009年に管理センターを木更津市に移転し、2012年、住友金属工業との合併で、新日鐵住金君津製鐵所となります。
2019年には「日本製鉄君津製鉄所」の名称となります。

そもそも「八幡製鐵」のルーツは、1901年に創業した官営八幡製鐵。
官営八幡製鐵が、1887年設立の釜石鉱山田中製鉄所が合併して1934年に日本製鐵が設立されます。
戦後、日本製鐵は解体され、八幡製鐵と富士製鐵が誕生したのです。
君津製鐵所の発足から5年後(1970年)、八幡製鐵と富士製鉄が合併して新日本製鐵が誕生します。
2002年に住友金属工業(1949年創業)と業務提携し、2012年に合併します。「新日鐵住金」の誕生です。
そして、2019年の名称変更によって、「日本製鉄」となります。
社名(固有名詞)に使われていた旧字体「鐵」は「鉄」となり、戦前の「日本製鐵(ニホンセイテツ)」とは異なる呼び名「ニッポンセイテツ」となります。「ニッテツ」という通称や「Nippon Steel」という英語表記は変わらぬままです。

管理人のコメント

小学校の社会科見学で、真っ赤な鉄が流れていく様子を見たことのある人、多いんじゃないでしょうか・・・。

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投稿日 2017/〇/〇

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