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【水郷】【佐原(さわら)】

【水郷】とは、水のほとりの村で、特に、茨城県・千葉県にまたがる利根川下流域から霞ヶ浦にかけての低湿地帯の総称です。明治時代から昭和の初めにかけて、日本各地に「すいきょう」と呼ばれた景勝地があり、その中で利根川下流から霞ヶ浦にかけての地域が「すいごう」と呼ばれるようになったのです。

【佐原】は、古くから水郷の町として栄えた地。
縄文時代は香取海で漁猟が中心でした。飛鳥時代、下総国の香取郡・海上郡に属すこととなり、649年、香取神宮の神郡となります。鎌倉時代には荘園ができ、各地で定期市が開かれるようになりました。香取神宮付近は門前町としてひらけます。
徳川家康によって、矢作(四万石)に譜代家臣の鳥居元忠が配され、岩ヶ崎城が築城されますが、完成を見ずに廃城となり、その後は分割。幕府直轄領・旗本領・大名領が混在する地となります。
江戸後期は、小野川周辺が利根川舟運の中継地として栄えました。小野川沿いは「小江戸」とも呼ばれ、当時の町並みが今もなお残されています。伊能忠敬の養子婿先の地でもあります。
1898年に佐原駅が開業し、1936年に水郷大橋が開通します。
戦後(1951年)、佐原町・香取町・東大戸村・香西村が合併して【佐原市】が発足し、2006年に、小見川町・山田町・栗源町と合併して【香取市】となったのです。これによって【佐原市】は消滅します。

佐原の町並みは1996年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
大祭は、2004年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年にユネスコ世界無形文化財に指定されました。

管理人のコメント

香取神宮の神官が祭典の時に使用する土器「浅原(さわら)」を当地で作っていたことから、「サワラ」の地名が生まれたそうです。

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投稿日 2018/〇/〇

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