【松戸】【矢切】
【松戸】は古くから人が居住した地で、縄文時代の遺跡、河原塚古墳などの古墳などが存在します。下総国葛飾郡に属し、下総国府(市川市国府台)に近い地域です。
「更級日記」の「下総の国と武蔵との境にてある太井川といふが上の瀬、まつさとの渡りの津にとまりて」という記述が「松戸」と思しき地名の初出で、当時は、太日川(江戸川)の渡船場の集落であった考えられています。
江戸時代は、天領・大名領・旗本領が入り組んだ近郊農村地域でした。下総台地上は小金牧(中野牧)という放牧地で、徳川将軍が鷹狩りをするために度々訪れた地です。
水戸街道の宿場町で、水戸藩主であった徳川昭武が明治時代に暮らしていた邸宅(旧徳川家住宅松戸戸定邸)、徳川光圀(水戸黄門)に縁のある「松戸神社」が所在します。
江戸時代は、船底の浅い高瀬舟が野菜を満載して江戸川を行き来し、江戸の日本橋の青物河岸へと農産物を運び、明治になると蒸気船が登場し、内国通運(日本通運の前身)が日本橋を起点とした定期航路を開設します。
1896年、日本鉄道により現在の常磐線(東京・田端~水戸)が開通します。
1943年に東葛飾郡松戸町・高木村・馬橋村が合併され「松戸市」が発足します。
ドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者である松本清氏が、第9代目松戸市長に当選したのが1969年。無給勤務や「すぐやる課」の設立などで話題になりました(1973年、2期目在職中に心不全で逝去されます)。
1971年には「日本大学松戸歯科大学(松戸歯学部)」が開校します。江戸川を挟んで東京都(葛飾区、江戸川区)に接する松戸市は東京都特別区部への通勤率の高いベッドタウン。上野東京ラインの開業によって都心へのアクセスが良くなり、ますます発展中です。
【松戸競馬場】
1907年~1919年、松戸駅の東側の丘陵地帯(聖徳大学・松戸中央公園付近)に「松戸競馬場」がありました。馬券が黙許されるようになった1907年に開場された競馬場で、不正や騒動が多く持ち上がる競馬場でした。1908年に馬券が禁止されると、「社団法人松戸競馬倶楽部」に組織替えして競馬が行われましたが、1919年に日本陸軍に接収され、陸軍工兵学校の用地となりました。「松戸競馬倶楽部」は千葉県中山村(市川市)に競馬場を移転し、「中山競馬倶楽部」として競馬が続けられました。
松戸は【矢切の渡し】が所在する地としても有名です。
【矢切】とは、千葉県松戸市にある上矢切・中矢切・下矢切の3地区の総称。かつてはそれぞれが独立した村でしたが、松戸町との合併により松戸市の一部となったのです。戦国時代の第二次国府台合戦において、里見方が矢が切れて負けたことから「やきれ」となり、「やぎり」となったと言われていますが定かではありません。
名産の「矢切ねぎ」が2004年に地域ブランドとなりました。
管理人のコメント
「矢切の渡し」は、江戸川を挟んで東京都葛飾区柴又を結ぶ渡し場。江戸時代初期に江戸幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちの一つだそうです。柴又帝釈天界隈とともに環境省の「日本の音風景100選」に選定されています。
この渡しが日本全国に有名になったのは、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によります。柴又を舞台とする映画『男はつらいよ』シリーズにも登場しますね。
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投稿日 2017/〇/〇
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