戻る

【君津郡】【君津市】

【君津郡】】
1897年の郡制施行により、望陀郡・周淮郡・天羽郡の区域をもって君津郡が発足します。当時の郡域は、更津市・君津市・富津市・袖ケ浦市の全域と鴨川市の一部(四方木)にまたがっていました。
1942年、木更津町・清川村・巖根村・波岡村が合併して【木更津市】が発足して郡より離脱し、1971年に君津町と富津町が市制施行して郡より離脱します。
そして、1991年に袖ケ浦町が市制施行して郡より離脱し、君津郡が消滅するのです。

【君津市】は、千葉県南部に位置し、鹿野山(南房総国定公園)を擁する地域です。日本製鉄東日本製鉄所(君津地区)を有する工業都市で、東京湾沿いの重工業地域に対し、内陸部の久留里地区は、江戸時代の城下町のたたずまいを残す地域です。現在の君津市は、1970年に誕生した3代目君津町が市制施行したものです。

【君津町】は、1943年に君津郡八重原村と周西村が合併して誕生したのが初代です。
1954年に周南村と貞元村とを合併し、1970年に上総町・小糸町・清和村・小櫃村を合併し、その翌年に市制施行して現在の君津市となったのです。
この地に「興亜工業大学」が移転してきたのが1945年。翌年「千葉工業大学」と名称変更されされます。
「興亜工業大学」とは航空工学・冶金・工業経営の3学科からなる大学で、1942年に玉川学園内に設立され、開校3年目の入学試験には定員の約45倍の受験生が殺到する、という人気大学でした。
戦後、文部省から「学校移転を希望する学校に旧軍事施設や備品類をあっせんする」という通達があり、この地に移転したのです。この際、国策色の強い旧名称を廃止したのです。

【上総町】は、君津郡にかつて存在した町。久留里城の城下町です。
【小糸町】も、君津郡にかつて存在した町で、現在の君津市の中部に位置します。房総スカイラインの沿線で、東京湾アクアライン経由で東京都と鴨川市方面を結ぶルートです。

管理人のコメント

市の花である「ミツバツツジ」をモチーフにした君津市のマスコットキャラクター「きみぴょん」は、房総丘陵の豊かな森の中に住み、湖のほとりや川べりに遊びに来る、元気でかわいらしい小さな動物だそうです。

みんなの声みなさんの思い出・感想などをお聞かせください。

投稿者 投稿をお待ちしております。

投稿日 2018/〇/〇

あなたの投稿文が掲載されます(公共性を欠く内容、日本語以外のものは掲載できません)。

私の声

投稿文が掲載されるまでに1~2週間要する場合があります。
※投稿文の掲載をもって、投稿文の著作権(著作権法第28条の権利を含む)が株式会社IPフォークロアに移転します。

※この欄は空欄にしてください
ニックネーム10文字まで
私の声