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【亀甲萬(キッコーマン)】【ヤマサ醤油】

【亀甲満醤油】は、1917年に設立された【野田醤油株式会社】を前身とします。
江戸への河川舟運の便が良い野田において、1661年(寛文元年)、上花輪村の名主・19代高梨兵左衛門が醤油醸造を始めたのが始まりです。
翌年、茂木七左衛門家が味噌づくりを始め、やがて分家・茂木七郎右衛門家が高梨家とともに醤油作りを開始します。
1781年(天明元年)、亀屋市郎兵衛、高梨兵左衛門、粕屋七郎右衛門、茂木七左衛門、大塚弥五兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛によって「野田醤油仲間」が結成されたことで醸造家が増え、醸造技術が進歩します。これが、流山の堀切紋次郎による万上味醂(マンジョウ本みりん)の開発へと繋がりました。
1828年(文政12年)には高梨兵左衛門家・茂木佐平治家が幕府に醤油を献上し、御用醸造の命を受けました。
1873年(明治6年)にはウィーン万国博覧会に亀甲万印の醤油を出品し、名誉賞に輝きます。
1887年(明治20年)、高梨家と茂木家によって「野田醤油醸造組合」が結成され、1900年(明治33年)に組合員によって設立された「野田商誘銀行」が、千葉銀行の前身の一つとなります。
野田人車鉄道を敷設し、1911年(明治44年)には県営軽便鉄道野田線(東武野田線)にも出資しました。
1917年、高梨家・茂木一族七家が野田醤油株式会社を設立します。堀切家は、野田醤油の出資により万上味醂株式会社を設立しました。
1925年には野田醤油醸造株式会社が万上味醂株式会社と日本醤油株式会社を合併します。この年、しょうゆ2L瓶の発売が開始されます。
1927年に東京市場での商標をキッコーマンに統一し、1940年には全国的に統一します。
1957年にサンフランシスコに販売拠点を設立し、アメリカ進出を果たします。
1961年、吉幸食品工業株式会社(日本デルモンテ株式会社)を設立しました。卓上びん型の醤油の販売が開始されたのもこの年です。
1962年には利根飲料株式会社(利根コカ・コーラボトリング株式会社)、1962年(昭和37年)には勝沼洋酒株式会社(マンズワイン株式会社)を設立します。
1964年に【キッコーマン醤油株式会社】に商号を変更します。翌年、減塩しょうゆの開発に成功しました。
1974年、キッコーマン一社提供のテレビ番組『くいしん坊!万才』が放送開始されます。
1980年に「キッコーマン株式会社」に商号を変更し、以降、資本提携を通じて様々な会社とネットワークを形成しながら、多様な商品展開が進められています。

野田のキッコーマンに対し、銚子の【ヤマサ醤油】は1645年の創業。
1864年に江戸幕府か「最上醤油」の称号を得、1899年に醸造を科学的に解明する「醤油研究所」を設立し、100年の歴史を経て、1992年に「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を発売。2009年には密封容器入り醤油を発表する、といった開発型企業です。

管理人のコメント

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投稿日 2017/〇/〇

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