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【川崎製鉄】【川崎重工業】【川鉄千葉製鉄所】

【川崎製鉄】は、1869年に兵庫県の「川崎の浜(東出町)」に設立された「兵庫製鉄所」がルーツです。加賀藩士ら3人が閉鎖となった「七尾造船所(加賀藩)」の設備を譲り受けて設立された製鉄所ですが、1872年に工部省に買収されて「兵庫製作所」となったため、近代造船所の必要性を感じた「川崎正蔵(薩摩出身)」が、1878年に東京の「築地」に【川崎築地造船所】を設立し、1881年には神戸に【川崎兵庫造船所】を設立し、第一次世界大戦による造船活況に乗じて急成長し、「三菱重工業」「IHI」とともに三大重工業の1つとなりました。
1939年に【川崎重工業株式会社】に商号を変更し、戦後(1950年)、製鉄部門を分離して【川崎製鉄株式会社(JFEスチール株式会社)】が設立されたのです。

【川崎重工業】は、1881年に神戸に【川崎兵庫造船所】が設立された後、1906年に運河分工場(兵庫工場)を開設して製鉄事業に進出し、機関車・貨客車・橋桁の製作を開始することで重工業への道を歩み始めました。1911年に国産化第1号蒸気機関車完成させ、1918年には飛行機の製造を開始しました。
1919年には船舶部を分離して【川崎汽船(株)】を設立し、1928年には鉄道車両部門を分離し【川崎車輛(株)】、1937年に飛行機部門を分離して【川崎航空機工業(株)】を設立し、1939年に【川崎重工業(株)】に商号変更し、製鉄部門を分離して【川崎製鉄(株)】を設立したのです。
1966年にボイラ・破砕機・運搬機械などのメーカー(横山工業)を合併し、1969年に「川崎車輛」「川崎航空機工業」、1972年に「汽車製造株式会社」を合併します。バスの車体製造部門は、1974年に分離し「いすゞ自動車」のバス車体製造会社なりました。
2010年に「川崎造船」など3社を合併し、現在は、オートバイ・航空機・鉄道車両・船舶などを製造する会社となっています。

【川鉄千葉製作所】
1950年、川崎重工の製鉄部門が独立し、川崎製鉄が設立されます。
当時、主要な製鋼原料(銑鉄)は日本製鉄から供給されていましたが、日本製鉄が分離され、民間企業(八幡製鉄,冨士製鉄)となったことを契機として、供給された銑鉄から鉄を作るのではなく、鉄鉱石を原料として鉄を製造することとなりました。
そのためには、高炉を有する製鉄所の建設が必要となります。そして、海外から鉄鉱石を輸入し、製品を海外に輸出するための港も必要です。かくして、臨海製鉄所の建設が計画されるのですが、用地選定に際しては、山口県光(元海軍工廠跡)、防府(塩田の跡)などの候補地があがるなか、千葉市蘇我駅の海よりの地(日立航空機の工場跡地)となり、会社設立から2年10か月後【川崎製鉄千葉製鉄所】の高炉に火が入るのです。
この「川崎製鉄」は、2003年に【日本鋼管(NKK)】と事業統合し、【JFEスチール】と商号変更されました。

管理人のコメント

千葉在住の私は、「アリオ蘇我」の駐車場から見る製鉄所の夜景に、夜中にも働く人々の力強さを感じるのです。

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投稿日 2018/〇/〇

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