【稲毛】【稲毛飛行場】【黒砂信号場】【穴川】
【稲毛区(いなげく)】は、1889年、千葉町の一部(黒砂村)・千葉郡都賀村の西半分・検見川町・犢橋村の一部区域からできた区域です。戦後、稲毛駅・西千葉駅を中心に発展しました。区名は公募で寄せられた案の中から決定されたそうで、千葉大学をはじめ高等教育機関が集中する文教地区です。
かつては東京湾に面する松林が広がる避暑地で、海岸沿い(埋立前の海岸線)には文人墨客の別荘や、海気館などの名旅館が所在しました。
1912年、引潮時には数キロに渡り干潟が広がる遠浅の海岸(稲毛海岸)が埋め立てられ,日本初の民間飛行場【稲毛飛行場】が建設されます。
【稲毛飛行場】は、奈良原三次によって開設されたもので、奈良原のもとに弟子入りしたのが、日本初の民間飛行を成功させた伊藤音次郎です。
大阪市浪速区恵美須町生まれの伊藤音次郎は1911年に上京し、商家で働きながら、奈良原のもとで航空機製作と飛行技術を身に着け、1915年に「伊藤飛行機研究所」を設立して「伊藤式・恵美1型」を製作し、1916年1月8日、東京に向けての訪問飛行を成功させたのです。
音次郎は日本軽飛行倶楽部を設立し(1930年)、軽飛行機の普及に貢献しました。
1987年、当時の飛行機(複葉機「鳳号」)が復元され、75年ぶりに復元飛行が行われました。これを機に、民間航空の資料が収集され、1989年、稲毛海浜公園内に【稲毛民間航空記念館】が開館されたのです。「稲毛民間航空記念館」は、施設改修のため2018年(平成30年)3月31日をもって閉館されましたが、施設改修後も鳳号の復元機はそのまま保存され、活用されるそうです。
稲毛駅から西千葉駅方向に約1.0kmの地に所在する【黒砂信号場】は、回送列車の待避や千葉駅発着の列車折り返しに使用される信号場。この地は、かつて【千葉気動車区】があった場所で、北総3線が電化された際に廃止され、その跡地は長らく利用されないままでした。総武快速線が千葉まで延長されるにあたり、信号場として利用されることとなったのです。
【千葉気動車区】とは、国鉄千葉鉄道管理局の車両基地で、房総東・西線を気動車化モデル線区とするにあたり、日本初の気動車区として発足しました。敷地は稲毛駅から西千葉駅までの駅間の北側部分、ほぼ全域に渡っていました。千葉駅方面から入区する際には総武本線の下り線を横断することとなるので、西千葉駅には下り列車を待機するための中線が存在したそうです。
区南部の【轟町】は、かつて鉄道聯隊などの軍施設が置かれていた地。戦車や軍靴の音が轟いていたことから付けられた地名です。自衛隊千葉地方協力本部・千葉市教育センター・千葉経済大学・千葉東高等学校などが所在する文教地区です。
区役所のある【穴川】も、放射線医学総合研究所・敬愛大学・京葉工業高等学校などが所在する文教地区です。
管理人からのコメント
民間飛行を成功させた伊藤音次郎、戦後、GHQの航空禁止令を受けて航空界から引退し、引退後は「恵美開拓農業協同組合」を組織し、千葉県成田市東峰で農場経営に携わったそうです。成田市東峰は、後に新東京国際空港(成田国際空港)の建設予定地の一部に選定されるのですが、その際、音次郎は率先して用地売却契約を締結したそうです。
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投稿日 2017/〇/〇
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