【房総鉄道】【北条線】【総武鉄道】
【房総鉄道(外房線)】は、房総半島の東側(太平洋側)を巡る鉄道で、1896年1月に蘇我駅~大網駅間を開業したのが始まりです。2月には千葉で【総武鉄道】と接続し、1897年に一ノ宮(上総一ノ宮)、1899年に大原まで延びます。
1907年、鉄道国有法に基づき官設鉄道【房総線】となりました。 1913年に勝浦、1927年に上総興津、1929年に安房鴨川まで延びます。
一方、房総半島西側(東京湾側)の鉄道としては、1912年に蘇我駅・姉ケ崎駅間に【木更津線(内房線)】が開業したのが始まりです。以後、延伸を繰り返し、1919年に安房北条駅(館山駅)に達したところで【北条線(内房線)】と改称されたのです。
1929年に房総半島東側で建設されていた房総線が安房鴨川駅まで延伸された際に、この北条線が編入され、千葉駅~大網駅~安房北条駅~木更津駅~蘇我駅が【房総線】と称されるようになったのです。
1933年、安房鴨川を境に【房総東線】と【房総西線】に分離され、1972年に現在の【外房線】【内房線】に改称されます。
対する【総武鉄道(総武線)】は、東京駅・ 銚子駅間を結ぶ鉄道路線で、「総武本線」と、錦糸町駅・御茶ノ水駅間の「支線」と、小岩駅・金町駅・越中島貨物駅間の「貨物支線」を含む路線です。
利根川水運の株主であった県会議長・池田栄亮などが発起人となり、1889年に「総武鉄道株式会社」が設立され、その翌年【総武鉄道】が申請され、国府台・津田沼・佐倉等の軍営所在地を通るルートを採用し、使命として「軍事輸送と政府開墾地への輸送」を掲げたことが奏功して免許が降り、1894年に市川駅・佐倉駅間が開業されたのです。千葉県内初の鉄道となりました。
開業直後(8月1日)に日清戦争が始まり、兵員を輸送するために、本所(錦糸町)へと延伸されます。
1897年に成東、そして銚子まで延伸され、佐倉駅での【成田鉄道】との連絡が実現します。
1904年に両国橋(両国)まで延伸され、ここから開業されていた路面電車(都電)に乗り継ぐことで都心へと向かうことができました。この当時は、貨物の扱いも「両国駅」で行われており、隅田川などの舟運を利用して都内に運ばれました。総武本線の沿線には住宅が建ち並びました。
1912年に開業した京成電気軌道(京成電鉄)と東京・船橋・千葉間の輸送で競合するようになると、近代化に向けた取り組みが始まりますが、1923年の関東大震災で両国周辺が被災。復興計画の中で、1926年に常磐線と連絡する貨物支線(新金線)に開業し、1929年には東京湾岸に向けての支線(越中島支線)が開業します。
1932年に御茶ノ水駅・両国駅間が延伸され、総武本線が他の国鉄線と連絡するようになるのです。
1945年3月10日、沿線で米軍による無差別爆撃(東京大空襲)が行われ、両国・錦糸町・亀戸などの駅に多くの被災者が避難しました。
管理人のコメント
総武鉄道と接続した当初は千葉駅と大網駅で方向転換(スイッチバック)していたのですが、1963年に千葉駅を西千葉駅方向に0.8km移し、1972年に大網駅を土気駅寄りに0.6km移して新線を敷設したことでスイッチバックなしで運転することができるようになったそうです。スイッチバックしていた頃の千葉駅の様子をご存知の方、投稿をお待ちしています。
みんなの声みなさんの思い出・感想などをお聞かせください。
投稿者
投稿をお待ちしております。
投稿日 2017/〇/〇
あなたの投稿文が掲載されます(公共性を欠く内容、日本語以外のものは掲載できません)。