房総半島の南端にあるのが「安房国」です。律令制以前この地域には、阿波国造と長狭国造の2つの国造(くにのみやつこ)が置かれていました。律令制のもと令制国である上総国の一部となります。その後、この地域は、平群郡・安房郡・朝夷郡・長狭郡の4郡に分けられ「安房国」となります(757年)。
室町時代は結城氏・上杉氏が守護に就きますが、15世紀半ば頃より里見氏が台頭し、安房統一を果たします。
関ヶ原の戦いで徳川家康を支援した里見氏でしたが、1614年、大久保忠隣の改易に連座して伯耆国倉吉に転封されてしまいます。その後、東条藩・勝山藩・上総百首藩・北条藩・館山藩などの諸藩と、幕府や旗本の領地となります。
明治4年(1872年)の廃藩置県によって木更津県に編入され、明治6年(1874年)の木更津県と印旛県の合併により千葉県に編入されます。
西国からの房総半島への移住は、黒潮にのってやって来た人達によって外房側から始まります。そのため房総半島の南東側が都に近く(上の総)、「上総国」と称されるようになります。
律令制以前は、須恵・馬来田・上海上・伊甚・武社・菊麻・阿波・長狭の8つの国造が置かれていましたが、市原郡・海上郡・畔蒜郡・望陀郡・周淮郡・埴生郡・長柄郡・山辺郡・武射郡・天羽郡・夷灊郡・平群郡・安房郡・朝夷郡・長狭郡の15の郡を有する令制国・上総国が成立するのです。
この上総国は、常陸国・上野国と並んで、国守に親王が補任される「親王任国」でした。親王太守は現地に赴任することはなく、菅原孝標のような国司によって統治されていました。中世にかけて上総氏が活動していましたが、鎌倉時代に上総広常が死亡し、守護が足利氏となり、室町時代は高氏・佐々木氏・千葉氏・新田氏・上杉氏・宇都宮氏となります。15世紀半ばごろより、原氏・武田氏・酒井氏・土岐氏・正木氏らが割拠し、16世紀前半には、下総生実に拠った小弓御所・足利義明の影響が強まります。足利義明が1538年の国府台合戦で死亡し、小田原の後北条氏、安房の里見氏の抗争の地となります。 豊臣秀吉の小田原征伐の後は徳川家康の勢力下となり、江戸時代は、久留里藩・飯野藩・佐貫藩・鶴牧藩・一宮藩・大多喜藩・請西藩の7藩と幕府領・旗本領が展開します。
明治2年(1869年)の版籍奉還で藩主が知藩事となりますが、明治4年(1872年)に廃藩置県が行われると、旧藩領と宮谷県は木更津県に統合され、明治6年(1874年)に木更津県と下総(印旛県)が統合されて千葉県が成立します。
都(畿内)に近い「上総」に対し、都から遠い房総半島北西部が「下総」と称されます。北は常陸国・下野国、西は上野国・武蔵国、南は上総国、内海を挟んで相模国と接する領域です。
律令制以前は、印波・千葉・下海上の国造が置かれていました。律令国家の設立によって、葛飾・千葉・印旛・匝瑳・相馬・猿島・結城・岡田・海上・香取・埴生の11の郡を有する令制国・下総国が誕生します。
中世にかけては千葉氏が台頭し、源頼朝の鎌倉幕府創設に寄与し、守護の地位を確保します。しかし、永享の乱・結城合戦・享徳の乱などで次第に衰え、やがて、下総国内は小田原の北条氏の影響を受けることとなります。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉の北条攻めの際には、千葉氏らは北条と運命をともにしますが、やがて豊臣秀吉に従うようになり、所領が安堵されることとなりました。
徳川家康の関東入府直後の下総には11氏が配置されます。そのうち規模の大きい藩は、古河藩(最大16万石)、佐倉藩(最大14.2万石)、関宿藩(最大7.3万石)などでした。
大政奉還の時点で下総国内に存続した藩は、結城・古河・関宿・佐倉・高岡・多古・小見川の8藩と幕府・旗本領でした。幕府が崩壊すると、下総国内の幕府・旗本領は下総知県事の管理下に置かれ、1869年(明治2年)に葛飾県が置かれます。
1872年(明治4年)の廃藩置県によって各藩は県に改変され、やがて、西半の9郡(結城・豊田・岡田・猿島・葛飾・相馬・印旛・埴生・千葉)に印旛県が成立し、東半の3郡(香取・匝瑳・海上)に新治県が成立します。
1873年(明治6年)に印旛県は木更津県(上総・安房両国を管轄)と合併して千葉県となり、利根川以北の区域(結城・豊田・岡田・猿島の4郡および葛飾・相馬両郡の一部)は茨城県に編入されます。葛飾郡のうち江戸川以西の区域は埼玉県に移管されます。
地図上で下(南)に位置する地域がなぜ「上総」なんだろう…、とずっと不思議に思っていました。今やっと疑問が解けました。黒潮にのってやって来た人達によって、海側から房総半島が開けてきたのですね。「勝浦」「白浜」など、黒潮による漂着地に関西と同じ地名があることも納得できました。
投稿日 2017/〇/〇
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