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陸軍防空学校

「陸軍防空学校(千葉陸軍高射学校)」とは、高射砲(地上から航空機を攻撃するために作られた火砲)に関する研究と教育を行う日本陸軍の教育機関です。当時、 千葉市小仲台にありました。
日本陸軍における高射砲兵は、1913年(大正2年)に研究開始された兵法で、大阪砲兵工廠において三八式野砲を用いた臨時高射砲の実験が行われました。
青島攻略戦では、臨時高射砲隊が編成され、1914年にドイツ海軍のルンプラー・タウベを相手に、初の高射砲が実戦されました。
1922年に十一年式七珊半高射砲が制式化されると、旧千代田村の陸軍野戦砲兵学校に高射砲練習隊が創設され、野戦高射砲隊の戦時編制が定められました。
十四年式十糎半高射砲が1925年に制式となり、陸軍野戦砲兵学校高射砲練習隊は「陸軍野戦砲兵学校教導連隊高射砲隊」へと改組されます。日中戦争には多くの野戦部隊が動員されました。
1938年に陸軍防空学校令が公布されると、陸軍野戦砲兵学校内に「陸軍防空学校創立準備委員室」が設置され、その施行日に合わせて、陸軍防空学校が千葉市小中台町に設立されたのです。
1942年に「千葉陸軍防空学校」と改称され、練習隊、生徒隊が設置されます。
1943年、千葉県銚子市三崎町に「千葉陸軍防空学校銚子分教所」が開設され、静岡県浜松市追分町にある高射砲第1連隊補充隊の兵営跡地に千葉陸軍防空学校浜松分教所が開設されます。ここが1945年5月に272機のB-29で空襲されます(浜松空襲)。6月には130機のB-29が浜松市街に焼夷弾を投下しました。
終戦後の8月30日、千葉陸軍高射学校は復員され、小中台の跡地には、現在、園生小・小中台中・千葉県立千葉女子高等学校などが建設されています。千葉陸軍高射学校浜松分教所の跡地は、現在、静岡大学の浜松キャンパスとなっています。

管理人のコメント

浜松空襲で家族9人を一度に亡くした方の体験談を新聞で読みました。同じ悲劇が繰り返されないことを祈るばかりです。

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投稿日 2017/〇/〇

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