青い目の人形
青い目の人形とは、日本との親善を目的として、アメリカから贈られた人形(Friendship Dolls)の通称です。
日露戦争を機に日本が満州の権益をにぎるようになると、中国進出の機会をうかがっていたアメリカとの間に緊張が高まります。
また、アメリカでの日系移民が増えたことから1924年にジョンソン=リード法(排日移民法)が成立し、日本国内での反米感情が高まりました。
このような中、1927年(昭和2年)、日米間の緊張をやわらげるために、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が、「世界の平和は子供から」をスローガンのもと、人形を通じた親善活動を行ったのです。
全米より集められた人形12,739体が、日本郵船ら5社の船12隻に分乗して、ニューヨークやサンフランシスコを出港し、横浜・神戸の港から日本に上陸します(遅れて、各州代表の人形48体とミス・アメリカ及びワシントンDCが到着)。
上陸後、青い目の人形は、全国各地の幼稚園・小学校に配られました。
ミス・アメリカ及びワシントンDCと48体の各州代表人形は横浜の本牧小学校での歓迎式典の後、皇室に献上され、香淳皇后よって東京博物館(現国立科学博物館)の上野別館に建てられた「人形の家(5分の1の模型で1階は和室、2階が洋間、庭には遊具が備えられていたそうです)」に、『全国学校科学教育展覧会』の会期中展示されました。しかし、昭和20年1月の空襲による混乱で、その殆どが行方不明となったそうです。
青い目の人形の多くは、太平洋戦争中に敵性人形として処分されてしまいました。
千葉県に寄贈された「青い目の人形」214体のうち現存するのは、佐倉幼稚園の「ナンシー・メリー」)、香取小学校の「メリー(学校日誌には「エリザベス」と記載)、小見川小学校の「ドロシー・ヘレン」、小見川幼稚園の「メーイ・ホース」、旭幼稚園の「イロエズ」、成東小学校の「アリス・プレーブル(1987年に市の有形文化財に指定)、松丘小学校の「アンヌ・ノーブル・ラメルサンガール」、佐貫小学校に寄贈された人形、館山小学校「メリー(現在は個人所有)」、東条小学校の「ベッティ」、富浦小学校の「メリー」)の11体です(毎日新聞1937年3月19日・4月9日の記事)。
返礼のため、日本からは市松人形58体が贈られました。
管理人の思い出
「あ~おい目をしたお人形~♪」の歌は、幼い頃、亡き母がよく歌ってくれた童謡です。
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投稿日 2017/〇/〇
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