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【高速道路】【首都高】【湾岸道】【東関道】【館山道】【京葉道路】【圏央道】【外環】【環七】【環八】

【高速道路】には「高速自動車国道」と「自動車専用道路」の2つがあり、全国的に展開している「高速自動車国道(いわゆる高速道路)」に対して、「自動車専用道路」は距離が比較的短く、最高速度は速度標識がない場合は一般道路と同様に60km/h以下です。

【首都高(首都高速道路)】は、東京都区部とその周辺地域にある337.8kmの「都市部の自動車専用道路」です。都県道(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)と市道(横浜市・川崎市)で、東京都と他県にまたがる路線には都県道番号がついています。
東京の芝浦とお台場を結ぶ【レインボーブリッジ】には「首都高」の他に「一般道路」と新交通「ゆりかもめ」線が走っています。

【湾岸道(東京湾岸道路)】は、千葉県、東京都、神奈川県の東京湾沿いに走る延長約160kmの道路で、中・長距離目的の専用部(自動車専用道路)と短・中距離目的の一般部(一般道路)からなる道路で、首都圏の放射道路と環状道路の性格を併せ持つ大動脈です。「専用部」の一部が【東関道(東関東自動車道)】【首都高湾岸線】【横浜横須賀道路】、「一般部」は【国道16号】【国道14号】【国道357号】として供用されています。並行して【第二東京湾岸道路】が計画中です。

東京と千葉県・茨城県を結ぶ【東関道】は、東京を起点として千葉県北部を横断して茨城県水戸市に至る路線「水戸線」と、千葉県内房に沿って館山市に至る路線「館山線」と、からなる「自動車専用道路」です。通常、高谷ジャンクション~茨城町ジャンクション(首都高速湾岸線から北関東自動車道まで)の水戸線が【東関東自動車道】と称され、館山線は【館山自動車道】と称されています。
この【東関道】、東京都区部から新東京国際空港へのアクセスを目的として建設された道路で、当初は「新空港自動車道」として開通しました。新東京国際空港(成田国際空港)が開業した次の年(1979年)に現名称となったのです)「新空港道」という名称は、成田ジャンクション~新空港インターチェンジ間の道路名として現在使われています)。
宮野木ジャンクションから京葉道路・館山自動車道(東関東自動車道館山線)が分岐し、千葉東ジャンクションから千葉東金道路が分岐します。
2005年の日本道路公団民営化により、東関道は東日本高速道路株式会社の管轄路線となります。
2010年、茨城空港北インターチェンジ~茨城町ジャンクションが開通して【北関東自動車道】と接続します。
2013年には、酒々井インターチェンジ・谷津船橋インターチェンジができました。
2015年に大栄ジャンクションが開通して【圏央道】と接続され、2018年の2月に鉾田インターチェンジ~茨城空港北インターチェンジが開通し、6月に高谷ジャンクションで【東京外環自動車道】と接続しました。

【京葉道路】も「自動車専用道路」です。東京都江戸川区の「一之江橋西詰」を起点とし、ここから篠崎ICまでは歩道・信号機を備えた一般道路で(自動車専用道路の「キロポスト」はあります)、もちろん無料です。船橋ICのランプと一部歩道にも「京葉道路 終点」の案内標識がありますが無料です。
自動車専用道路としての【京葉道路】の起点は、篠崎ICから約1.1 km西の側壁に「京葉道路終点」の案内標識が出ているところであり、ここが首都高速7号小松川線との境界です。京葉JCTで【東京外環自動車道】、宮野木JCTで【東関東自動車道】、千葉東JCTで【千葉東金道路】、終点で【館山自動車道】と接続しており、それぞれ、さいたま・成田・東金・木更津方面へと向かいます。
宮野木JCT以南は「東関東自動車道千葉富津線」に並行し、穴川ICから蘇我ICまでの間は「国道16号千葉バイパス」が併設されています。この側道が、蘇我ICの南で分岐する地点が【京葉道路】と【館山自動車道】の境界(千葉南JCT)です。

【圏央道(首都圏中央連絡自動車道)】は、都心から約40~60kmを環状に連絡する有料道路です。東名高速・中央道・関越道・東北道・常磐道・東関東道等の放射状に延びる高速道路と主要都市を連絡しています。

【外環(東京外かく環状道路)】は高速道路の部分と一般道路の部分(計画中の区間を含む)の総称で、東京都大田区から埼玉県を経て千葉県市川市に至る、都心から約15kmの環状道路です(延長約85km)。首都圏の3環状9放射のうち、3環状道路の一つ(他の2つは首都高と圏央道)で、。

【環状七号線(東京都道318号)】は東京23区内を環状に廻る最も外側を走る「一般道」です。大田区平和島を基点に世田谷区・杉並区・練馬区・北区・足立区・葛飾区などを経由して江戸川区臨海町に至ります。
関東大震災後の復興として、1927年に策定された「大東京道路網計画」に盛り込まれた道路なのですが、戦時体制に入って凍結。1964年の東京オリンピック開催のための「オリンピック道路」としての整備が行われたのです。東京オリンピックの開会式が開かれる駒沢競技場や、戸田漕艇場と羽田空港とを結ぶ主要道路となりました。なお、環七の外側を通る【環八(東京都道311号環状八号線)】は東京23区の西側半周のみです。

【環状八号線(東京都道311号)】は、羽田空港から世田谷区・杉並区・練馬区・板橋区を経由して東京都北区赤羽に至る半円状の一般道で、環七と同様、1927年の「大東京道路網計画」に含まれていたものですが、戦時体制に入って計画は凍結。本格的に着工されたのは1956年でした。しかし、交通需要が小さかったため後回しとされ、1965年に第三京浜道路が開通し、沿線が急速に住宅地化され交通需要が急増し、渋滞が激しい「首都高速道路」に代わる短絡ルートとして整備されるようになるのです。しかし、急上昇した地価に対して用地取得は進まず、最後まで残った区間が共用されるのが2006年でした。

管理人のコメント

東関道と東京外環自動車道と接続で、(恐怖の)首都高を通らずに済みそうです。
レインボーブリッジには遊歩道(レインボープロムナード)があり、この橋を歩いてお台場に行くことができるそうです。

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投稿日 2017/〇/〇

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