【証城寺の狸ばやし】【木更津】
「証城寺の狸ばやし」とは、木更津市にある寺院「證誠寺(山号は護念山)に伝わる伝説『狸囃子』を元に、詩人の野口雨情が作詞し、中山晋平が作曲して発表された童謡です。
この伝説は、「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした」という話で、『分福茶釜』(群馬県館林市)、『八百八狸物語』(愛媛県松山市)と並ぶ日本三大狸伝説です。
「夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた」という悲しいオチの物語で、證誠寺の境内には、腹を破って死んだ狸を供養するための「狸塚」があります。
毎年秋には狸の供養として狸まつりが行われるそうです。
【木更津】は、1456年頃、上総武田氏の祖・武田信長によって【真里谷城】が築城され、江戸期は港町として栄えた地です。
1614年の大坂冬の陣で、木更津の水夫が徳川幕府方について戦功を上げ、その功により、江戸・木更津間の渡船営業権、日本橋の「木更津河岸」などが与えられ、木更津が上総・安房と江戸を結ぶ海上輸送の拠点となったのです。
市の西部(木更津地区、清川地区)は東京湾に面する沖積平野。北部(岩根地区、金田地区、中郷地区)は泥層を主とする田園地帯でハス田が広がり、東部(富来田地区)の小櫃川流域には上総丘陵の森林が広がる地です。
「木更津」という地名は、倭建命伝承の一説である「君不去(きみさらず)」を元としている、というのが通説です。倭建命が東征の折にこの地方に立ち寄ったそうで、小櫃川流域を中心とする地域には豪族(国造)が存在していたことを示す古墳群が存在します。
管理人のコメント
「しょ、しょ、しょじょじ~」の歌は知っていましたが、悲しいオチは知りませんでした。
みんなの声みなさんの思い出・感想などをお聞かせください。
投稿者
投稿をお待ちしております。
投稿日 2017/〇/〇
あなたの投稿文が掲載されます(公共性を欠く内容、日本語以外のものは掲載できません)。