戻る

【佐倉】【ユーカリが丘】

千葉県の北部に位置する【佐倉】は、下総守護の千葉氏が本佐倉城(酒々井町本佐倉)を拠点として活躍し(佐倉千葉氏)、戦国時代末期、後北条氏の配下となった千葉親胤によって鹿島城(佐倉城)が建立された地です。
暗殺された千葉篤胤に代わって、一族の鹿島幹胤、そして千葉邦胤に引き継がれますが、豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏が滅亡すると、建築途中の佐倉の城(鹿島城)も焼かれてしまいます。
江戸時代になり、土井利勝が鹿島城を改造して「佐倉城」を築きます。
その後、堀田氏が入封し、幕府の要人を輩出する佐倉藩(11万石)の居城となったのです。この佐倉藩の城下町として栄えたのが【佐倉】なのです。
藩主(老中・堀田正睦)が蘭学を奨励したことで、私塾「佐倉順天堂(順天堂大学)」が開かれ、西洋医学の街としても栄えます。
1871年、廃藩置県により佐倉県が置かれ、印旛県と改名されます。
1873年に城跡に軍隊(佐倉連隊)が設置されます。
1889年の町村制施行に伴い、印旛郡佐倉町・臼井町・内郷村・志津村・根郷村・和田村・弥富村・千代田村・旭村が成立するのですが、1937年、印旛郡佐倉町は内郷村と合併して「佐倉町」となります。
1954年、佐倉町・臼井町・志津村・根郷村・和田村・弥富村が合併して「佐倉市」となります。面積89,79km2、人口35,196人の県内で11番目の市制施行でした。
1955年には旭村の大字馬渡を編入します。旭村の残部は千代田町と合併して四街道町となりました。
1968年に人口5万人を突破した佐倉市は、翌年、千葉市宇那谷町・内山町(花見川区)の一部を編入し、1980年には人口10万人を越える大都市になります。
1983年、国立歴史民俗博物館が開館します。
1989年、日蘭修好380年を記念して、印旛沼の畔(佐倉ふるさと広場)において「佐倉チューリップフェスタ」が開催されます。
1999年に佐倉市の一部と千葉市の一部が等積交換(境界変更)され、2004年、市制50周年式典が行われました。
現在、千葉県では流山市に次いで人口第9位の市となっています。    

佐倉市の【ユーカリが丘】は、1971年に不動産会社・山万が開発を始め、1979年に分譲が開始されたニュータウンです。1982年、ユーカリタウンを周回するAGT路線「コアラ号」が開業しました。
都心から約38キロメートル、成田国際空港から約25キロメートルに位置するベッドタウンで、「自然と都市機能の調和」「少子高齢化」「安心・安全」「文化の発信」「高度情報通信化」を目指して一貫した開発が行われています。「殺菌作用や空気の清浄作用があり、環境にやさしい」というユーカリに因んで命名され、タウン内には約20本のユーカリの木が植えられています。

【佐倉ふるさと広場】で開催される【佐倉フラワーフェスタ】は、4月の「佐倉チューリップフェスタ」、7月の「風車のひまわりガーデン」、10月の「コスモスフェスタ」の年3回。オランダ風車を背景に咲き乱れる花の風景は圧巻です。。
佐倉ふるさと広場の【オランダ風車】は佐倉市制40周年を記念して1994年に設置された日本初の「水くみ型風車」です。日蘭交流の幕開けとなったオランダ船リーフデ号にちなみ「リーフデ(友愛)」と命名されています。

管理人のコメント

城下町、医学の町、軍の町、「歴博」を擁する文化の町、「オランダ風車」を擁する花の町…と様々な魅力を持つ佐倉は「本当に歴史的な町」です。

みんなの声みなさんの思い出・感想などをお聞かせください。

投稿者 投稿をお待ちしております。

投稿日 2018/〇/〇

あなたの投稿文が掲載されます(公共性を欠く内容、日本語以外のものは掲載できません)。

私の声

投稿文が掲載されるまでに1~2週間要する場合があります。
※投稿文の掲載をもって、投稿文の著作権(著作権法第28条の権利を含む)が株式会社IPフォークロアに移転します。

※この欄は空欄にしてください
ニックネーム10文字まで
私の声