戻る

【香取神宮】

【香取神宮】は「大国主の国譲り」の際に活躍する「経津主神(フツヌシ)」を祭る神社。
同じく「国譲り」の際に活躍する「建御雷神(タケミカヅチ)」を祭る【鹿島神宮(鹿嶋市)】と並び称される、朝廷からの崇敬の深い神社です。
古代は、霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼の一帯が「香取海(かとりのうみ)」という内海で、この地は、ヤマト政権が蝦夷に進出する際の輸送基地で、その拠点が「鹿島・香取」の両神宮だったのです。
奈良時代は、藤原氏の氏神として崇敬されました。源頼朝・足利尊氏などからも信仰されており、常陸・下総の海夫(漁業集団)を支配して多くの収入を得ていました。
千葉氏の滅亡後、関東に入った徳川家康の下で1591年に検地が行われ、社領は大幅に削減されます(1,000石)。1607年に大造営が行われ、1700年に再度造営され、現在の本殿・楼門・祈祷殿が完成しました。
明治になって官幣大社に列せられ、1942年に勅祭社に定められました。
中国唐代の「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」が国宝に指定され、本殿・楼門などが国の重要文化財に指定されています。

【香取市】
県北東部の香取地域にある【香取市】は【佐原】を中心部とする市。小江戸三市の1つで、水郷地帯は「水郷筑波国定公園」、佐原の町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」、商家町の歴史的町並みは「日本遺産」に認定されています。
香取神宮の鳥居前町で、佐原は伊能忠敬が商人として活躍した地です。佐原三菱館(1914年建築)、正文堂書店店舗(1880年建築)、小堀屋本店店舗(1900年建築)、福新呉服店(1892年建築)、中村屋乾物店(1892年建築)など歴史的建造物が多く現存する地域です。

【香取郡(旧)】
古代の「香取郡」は「香取神宮」の神郡を示す名称でした。下海上国(又は匝瑳郡)の一部を割いて建郡された郡で、大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡の1つだったのです。郡域も現在の「香取郡」とは異なり、現在の香取市のうちの【旧佐原市】【神崎町】【成田市】の一部に限定されていました。
中世の荘園制を経て郡域は変わり、1878年の郡区町村編制法施行により、行政区画としての【香取郡】が発足したのです。郡役所は佐原町に設置されました。当時の郡域は、香取市全域に加えて、銚子市の一部・成田市の一部・旭市の一部・匝瑳市の一部・山武郡横芝光町の一部、茨城県の稲敷の一部を含む領域でした。

【香取郡(旧)】の東南の【匝瑳郡(旧)】は、物部小事が坂東を征した功により建郡されたとされ郡です。下総国にあった郡で、令制国成立以前からの郡とされていますが、平安時代末に荘園に分割され、その後の変遷の末、1878年の郡区町村編制法施行により、行政区画としての【匝瑳郡】が発足したのです。

管理人のコメント

「匝瑳郡」と「海上郡」を合わせた地域が「海匝」と呼ばれ、香取郡も合わせて「香取海匝」と呼ばれます。物部氏の都である「匝瑳郡」に鎮座する【老尾神社】の祀官が香取氏ですので、香取氏のルーツは物部氏なのかもしれないな~、【香取神宮】と物部氏との間に何らかの関係があるのかのしれないな~、などと想像をふくらましています。

みんなの声みなさんの思い出・感想などをお聞かせください。

投稿者 投稿をお待ちしております。

投稿日 2018/〇/〇

あなたの投稿文が掲載されます(公共性を欠く内容、日本語以外のものは掲載できません)。

私の声

投稿文が掲載されるまでに1~2週間要する場合があります。
※投稿文の掲載をもって、投稿文の著作権(著作権法第28条の権利を含む)が株式会社IPフォークロアに移転します。

※この欄は空欄にしてください
ニックネーム10文字まで
私の声