【富津】【金谷】【鋸山】【明鐘岬】
千葉県南部(君津地域)に位置する【富津(ふっつ)】は、「マザー牧場」「富津岬」「鋸山」などを擁し、自然豊富な観光都市です。
地名は、嵐を静めるために海に投身した弟橘姫の袖が海岸に流れ着き「布流津(ふるつ)」と呼ばれるようにり、それが「富津」に転じた、という日本武尊伝説に由来し、縄文時代・弥生時代からの遺跡が数多く分布する地です。5世紀中頃の内裏塚古墳群も存在し、埴輪や金銅製品などの副葬品が出土したそうです。
律令制下では上総国天羽郡全域・周淮郡の一部に属しました。
鎌倉時代には称名寺の寺領があり、古戸(富津)の地から年貢の輸送が行われたそうです。
戦国期は佐貫城を拠点に真里谷武田氏、安房里見氏の支配下でした。1567年には、君津市との境界にある「三船山」において里見氏と北条氏の合戦が繰り広げられました(三船山合戦)。
1889年の町村制施行により富津村・川名村・篠部村・新井村が合併して【周淮郡富津村】が発足し、1897年の君津郡の成立によって【富津町】が新設されたのです。その後、合併を繰り返し、1971年の市制施行により【富津市】となりました。
木更津港の富津地区には、火力発電所としては日本最大級の「富津火力発電所」が稼働し、富津岬の北側は「京葉工業地帯」です。
南側は「南房総国定公園」に指定され、フェリーターミナルの浜金谷港や上総湊港(地方港湾)などの漁港が存在します。
【金谷(浜金谷)】
富津市の東京湾東岸には、フェリーターミナルで有名な【浜金谷港】があります。
かつて、神奈川側の川崎・横浜・横須賀・浦賀・久里浜と、千葉県側の五井・木更津・富津等との間には網の目のように航路がありました。しかし、房総半島における鉄道の整備と共に、その役目終え、現在は、金谷港~久里浜港の航路が残るのみとなったのです。フェリーや砂利・砂の積出港として利用されている【浜金谷】ですが、ここから見る夕日は格別。「金谷フェリーサービスセンター」には、夕日が最も美しく見える場所として、恋人の聖地モニュメント「幸せの鐘」が設置されています。
富津市と安房郡鋸南町との境に位置するのが標高329.4mの【鋸山】。日本寺が所在する山で、正式名称は「日本寺」の山号である「乾坤山(けんこんざん)」。
凝灰岩の山で、「房州石」として古くから採石が行われました。その結果、露出した山肌が、まるで鋸の歯のようなので【鋸山】と呼ばれるようになったのです。
山頂からは、東京湾一帯から伊豆大島まで見渡すことができます。多くの文人が訪れ、多くの詩歌が残された地です。山頂展望台「地獄のぞき」はスリル満点です。
管理人のコメント
鋸山の石は、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されているそうです。自然保護の観点から1985年を最後に採石は終了されています。
鋸山が国道127号から東京湾へ落ち込むところは【明鐘岬(みょうがねみさき)】と呼ばれる、これまた夕日観賞のポイント。
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投稿日 2018/〇/〇
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